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国吉祭2019×Jホールレインボーコンサート
音楽と辿る国吉康雄の旅路

岡山フィルハーモニック管弦楽団共同企画文化庁文化芸術振興費補助金採用事業
国立大学フェスタ2019参加事業
第16回おかやま県民文化祭地域フェスティバル文化がまちにある!プログラム in 備前参加事業
 
2019年10月14日、国吉康雄研究講座と岡山フィルハーモニック管弦楽団の共同企画として、「国吉祭2019× J ホールレインボーコンサート音楽と辿る国吉康雄の旅路」を開催しました。狙いは、国吉康雄が「近代」を敏感に捉え、変化させた画風を、岡山フィルハーモニック管弦楽団の音楽演奏と、岡山大学教育学研究科の専門家による対談で振り返ることで、アート鑑賞と音楽鑑賞、講演に参加する層が交流可能な空間を作り、新しい発見となるプログラムを提供することでした。
国吉祭2019チラシ

国吉祭2019チラシ


 

音楽演奏会
演奏曲目は、近代や国吉康雄が在米中に流行した作品や、国吉が好きだった作品13曲が選ばれ、演奏と演奏の間には、国吉作品と曲の関係性についての説明、作曲された時代についての解説が行われました。

 
No.1 国吉が求めたアメリカを形作ったもの「愛国心」と「理想」
作曲:ルイス・モロー・ゴットシャルク
曲名:『ザ・ユニオン―国民歌に基づくコンサート用パラフレーズ』
 
《自画像》1918年・国吉康雄作

《自画像》1918年・国吉康雄作


1861年からアメリカ合衆国で勃発した、「南北戦争」の終盤、アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーン(1809ー1865)の前で初めて演奏されたのが、『ザ・ユニオン―国民歌に基づくコンサート用パラフレーズ』です。作曲はルイス・モロー・ゴットシャルク(1829ー1869)という、イギリスとフランス、ユダヤにルーツを持つ人物でした。ゴットシャルクは戦中、ユニオンと呼ばれた北軍政府が目指す「自由なアメリカ」を支持。この曲中には、アメリカで現在も親しまれているメロディーが散りばめられているため、アメリカの成り立ちや国民性、南北戦争、奴隷制、多様性などに想像が容易になることから選曲しました。この曲に込められた「愛国心」が、国吉康雄のアーティストとしての、そして成功を求めた移民としての人生に大きな影響を与えました。

 
No.2 国吉が誕生した1889年・洋の東西が交流する
作曲:クロード・アシル・ドビュッシー
曲名:『Tarentelle styrienne (Danse)』
 
《野性の馬》1921年・国吉康雄作

《野性の馬》1921年・国吉康雄作


クロード・アシル・ドビュッシー(1862ー1918)は国吉が生まれた1889年をターニングポイントに、新しい音楽を生み出しました。それは、東洋と西洋の交流が音楽になった曲で、のちの音楽史、芸術表現のあり方に大きな影響を残しています。演奏曲はドビュッシーがガムランというインドネシアの楽器に出合った翌年に作曲された曲です。国吉は、前衛的な画家集団、ペンギンクラブに参加し、ジュール・パスキン(1885ー1930)らと共に、「独立美術家協会創立展」に出品することで、ニューヨークで画壇デビューした1920年代に、「東洋と西洋を心の中で溶かした画家」と呼ばれていました。

 
No.3 国吉が描いたフランス・黄金と喩えられる時代
作曲:ジャック・オッフェンバック
曲名:『地獄のギャロップ(天国と地獄)』
 
《バンダナをつけた女》1936年・国吉康雄作

《バンダナをつけた女》1936年・国吉康雄作


国吉は1925年と28年の二度、パリを訪ね、絵画の研究とともに、藤田嗣治や、ジュール・パスキンと出会いました。国吉にとっては、この訪問が自身の画風を大きく変えるきっかけとなります。国吉がパリを訪れた当時の雰囲気を演出するため、ジャック・オッフェンバック(1819ー1890)の「地獄のギャロップ」を演奏しました。「地獄のギャロップ」は「天国と地獄」というタイトルで親しまれ、「カンカン」の代名詞とされています。「カンカン」とは、ロングスカート、ペチコート、黒ストッキング等の衣装を着用した、女性ダンサーのコーラスラインが上演するショーダンスのことで、19世紀末にパリにオープンした、「ムーラン・ルージュ」という劇場の花形でした。

 
No.4 真のアメリカを表現するために・アメリカに暮らす誰もが求めたもの
作曲:アントニン・ドヴォルザーグ
曲名:弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』
 
《二人の赤ん坊》1923年・国吉康雄作

《二人の赤ん坊》1923年・国吉康雄作


この曲は、1884年にボストンで演奏されました。曲名は、国吉が生涯暮らし続けた「アメリカ」です。作曲はニューヨーク・ナショナル音楽院の院長のアントニン・ドヴォルザーグ(1841ー1904)です。彼はプラハ音楽院での指導の成果があり、アメリカの音楽を生み出すことを期待された若い作曲家たちの指導するため、アメリカにやってきました。1893年から95年にかけて、彼は「アメリカのクラシック音楽は、ヨーロッパの作曲家の模倣に代わる新たな独自のモデルが必要だ」と繰り返し語っており、彼の曲はのちの作曲家にも影響を与えました。

 
No.5 アメリカによるアメリカのための音楽
作曲:ジョージ・ガーシュイン
曲名:『ラブソディー・イン・ブルー』(短縮版)
 
《水難救助員》1924年・国吉康雄作

《水難救助員》1924年・国吉康雄作


この曲は、1924年に『新しい音楽の試み』というコンサートのために作曲され、「アメリカ人による、アメリカの音楽が誕生した」と絶賛されました。この時代、誰もがアントニン・ドヴォルザーグの言う「真のアメリカ」を表現しようとしました。国吉もパリに拠点を移す意気込みで1920年代に旅立ったものの、アメリカで描くべきだという思いを強くし、ニューヨークに戻り制作を続けました。

 
No.6 幼い時の記憶・日本への思い
曲名:備前岡山獅子舞太鼓唄『こちゃえ節』
 
《日本の張子の虎とがらくた》1932年・国吉康雄作

《日本の張子の虎とがらくた》1932年・国吉康雄作


国吉が西洋の楽理に嵌らない日本語の歌を歌っていたという証言が、国吉夫人によってなされています。それが、『こちゃえ』であるかは不明ですが、『こちゃえ』自体は、江戸時代の流行歌を岡山アレンジしたもので、天保期(1831ー1845)より岡山で盛んに行われており、少年時代の国吉も聞いていたようです。本来、笛と鐘、唄で構成される『こちゃえ』ですが、今回の演奏では、歌のパートをバイオリンに置き換え、演奏をしました。

 
No.7・8 軍靴に追われ・「退廃」というレットルを貼られての亡命
作曲:アルノルト・シェーンベルク
曲名:『浄夜』・『皇帝円舞曲』(ヨハン・シュトラウス作曲・シェーンベルグ編曲)
 
《安眠を妨げる夢》1948年・国吉康雄作

《安眠を妨げる夢》1948年・国吉康雄作


アルノルト・シェーンベルク(1874ー1951)は、調性のない音楽を思索し、十二音技法を確立した音楽史を語る上で欠かすことのできない作曲家です。シェーンベルグはユダヤ人として迫害され、アメリカへ亡命します。渡米後は、アメリカの音楽教育に積極的に取り組み、ジョン・ケージ(1912ー1992)など、多くの現代音楽家を育てた《安眠を妨げる夢》1948年・国吉康雄作シェーンベルグが、リヒャルト・デーメルの「浄められた夜」という詩に捧げた曲が「浄夜」です。演奏前には、詩の前半部分を日本語で朗読しました。この頃、国吉は、ナチスから退廃芸術家とされたゲオルグ・グロッソ(1893ー1959)を支援し、アート・スチューデンツ・リーグに迎えています。次曲の「皇帝円舞曲」は岡山フィルハーモニック管弦楽団のコンサートマスターである高畑壮平さんから、「岡山では演奏する機会がなく、自分がドイツに留学していた頃を思い出したので、この機会にぜひ演奏したい」というリクエストがあったことがきっかけで演奏しました。

 
No.9 祭りは終わった・故国と育ての国の戦争
作曲:アーロン・コープランド
曲名:『市民のためのファンファーレ』
 
《ここは私の遊び場》1947年・国吉康雄作

《ここは私の遊び場》1947年・国吉康雄作


アメリカの象徴といわれるファンファーレが、アーロン・コープランド(1900ー1990)が作曲した「市民のためのファンファーレ」です。この曲は、第二次大戦終戦間近に作曲され、戦意高揚という役割を担っていました。アメリカ音楽の古典で、アメリカ人にとっては特別な曲です。1930年代半ばから国吉は、ナチスを追われた芸術家を受け入れる活動もしています。制作では「祭りが終わった」という大作を2年かけて描きました。この作品には国吉の下記のメッセージが添えられました。
 
祭りは終わった。戦争も終わった。
新しい世界を待ち望んだけれど、何もやって来なかった。
祭りが終わっていないことが自分には分かっている。
今日の世界は渾沌としている。しかし、われわれは進まねばならない。

 
No.10 アメリカが悲しむ時
作曲:サミュエル・バーバー
曲名:『アニュス・デイ(Agnus Dei)』
 
《鯉のぼり》1950年・国吉康雄作

《鯉のぼり》1950年・国吉康雄作


この曲は、サミュエル・バーバー(1910ー1981)が1937年に発表した『弦楽のためのアダージョ』にラテン語の祈祷文をつけたミサ曲です。「アニュス・デイ」は、「神の子羊」という意味を持ち、原罪を贖うために捧げられたキリストを表し、歌詞の意味は、「世の罪を除き給う天主の子羊、我らを憐れみ給え」です。国吉が暮らしたアメリカとキリスト教は深く結びついており、この曲は、ベトナム戦争を描いた『プラトーン』や、グランド・ゼロで行われた9.11の追悼式典でも使用されたことから、アメリカが悲しむときに演奏されます。

 
No.11 国吉が愛した歌曲
作曲:スティーブン・フォスター
曲名:『Jeanie with the Light Brown Hair』
 
《恋人たちの道》1946年・国吉康雄作

《恋人たちの道》1946年・国吉康雄作


この曲は「アメリカ民謡の父」といわれるスティーブン・フォスター(1826ー1864)が1854年に作曲した歌曲で、国吉が好きな曲でした。1940年代になって、パブリックドメインとなったこの曲を、ラジオ局がよく流していたことがわかっています。国吉夫人は、国吉がこの曲を聴くと、物思いに耽るようで、「昔を思い出している」のがよくわかったと証言しています。

 
No.12 パリを経ての革命〜誰一人として存在しないこと
作曲:アストル・ピアソラ
曲名:『来るべきもの(Lo que vendra)』
 
《通りの向こう側》1951年・国吉康雄作

《通りの向こう側》1951年・国吉康雄作


アストル・ピアソラ(1921ー1992)は、アルゼンチンの作曲家でバンドネオン奏者でした。タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合させ、独自の演奏形態を産み出したことから、タンゴという音楽ジャンルに「革命」を起こしたといわれています。ピアソラは、幼少期を、国吉が暮らしていた時代のニューヨークで過ごしています。また、タンゴに限界を感じた1954年、クラシック作曲家になるため、パリに留学をしています。1958年には、新天地を求めて家族で古巣のニューヨークに移住し、歌手の伴奏などを行ったほか、実験的なジャズ・タンゴと称する編成を組みました。ピアソラの音楽はニューヨークなどのあまりタンゴと関わりを持たない街で評価されたため、タンゴの評論家から意図的に評価から外されるといった差別も受けています。こういった差別は、国吉など、時代の多様性を受け入れ、新しい表現を目指した芸術家たちにとってはよく向けられたものでした。

 
No.13 国吉と同じ歳の喜劇王の手によるスコア
作曲:チャールズ・チャップリン
曲名:『ライムライト/テリーのテーマ』
 
《ミスター・エース》1952年・国吉康雄作

《ミスター・エース》1952年・国吉康雄作


国吉と同じ、1889年に生まれたチャールズ・チャップリン(1889ー1977)は、国吉同様、移民であり、アメリカで成功を収めました。1952年、国吉が老いた道化師をモチーフにした、『ミスターエース』を描き、チャールズ・チャップリンも老いた道化師を演じた映画「ライムライト」が公開されました。しかし、チャップリンは、赤狩りの対象となり、自由と民主主義を宣言するアメリカから追放されます。「ライムライト」の中でチャップリンは、スクリーンの中で初めてその素顔を見せました。チャップリンと同じように保守系のメディアなどからすざましい批判を受けていた国吉もまた、「ミスターエース」のなかで仮面を脱ぎ、素顔を晒しています。この二人の共通項を感じ、チャップリンが作曲したアカデミー作曲賞受賞の「テリーのテーマ」を最後に演奏しました。
 
 
国吉康雄が影響を受けた印象主義と近代アメリカの音楽とアート
 
登壇者
諸田大輔(教育学研究科准教授・フルート奏者),江原久美子(美術研究家)
 
日時
2019年10月14日18:00〜18:30
 
概要
演奏の前に、岡山大学大学院教育学研究科の音楽の専門家として、諸田大輔准教授とアートの専門家として、直島の美術館施設の設置に携わった江原久美子氏が対談を実施しました。対談は演奏会をより楽しむために、音楽とアート、双方の視点から、「印象主義」と呼ばれる国吉が活躍する以前の芸術運動について解説をしました。

 

 

展示
 

国吉作品の理解を深めるために、会場入り口に国吉康雄の実寸大模写と複製作品と解説パネルを展示。来場者には、国吉作品と演奏曲が掲載されているパンフレットを配布しました。

 

ワークショップ
 
国吉作品から着想を得た工作ワークショップスペースを設置しました。ミスターエース展で実施したワークショップに加え、今回の国吉祭のために、教育学部美術専攻の学生が、新たに「ランプシェード」を作るワークショップを考案しました。このワークショップの特徴は、和紙に描かれた国吉作品の作成したランプシェード線画をマジックペンなどで好きな色を塗り、参加者自身が内側から光を当てることで、国吉作品の特徴である作品の「色遣い」を楽しめることです。工作ワークショップの参加者は25名で、当初、1度に8名対応が限度だったワークショップブースはすぐに満席となり、増席をして対応いたしました。参加者からは、「手を動かす工作ワークショップが楽しい」、「昔を思い出すようだ」という感想が多く寄せられ、好評でしたが、ブースの設置時間がワークショップブース17:00〜19:30と制限されたため、演奏会への参加者は、最大1時間となり、ワークショップ参加者は限られたものとなりました。
 

 

開催日時
2019年10月14日(月・祝)18:00開演
 
開催場所
岡山大学鹿田キャンパスJunko Fukutake Hall
 
料金
500円

 

主催・企画
国立大学法人岡山大学大学院教育学研究科国吉康雄記念・美術教育研究と地域創生講座》
 
主催
公益財団法人岡山シンフォニーホール / 第16回おかやま県民文化祭地域フェスティバル / 文化がまちにある!プログラムin備前実行委員会 / 岡山県 / 公益社団法人岡山県文化連盟 / おかやま県民文化祭実行委員会
 
製作
一般社団法人クニヨシパートナーズ
 
助成
公益財団法人福武教育文化振興財団
 
制作
教養教育科目「クリエイティブ・ディレクター養成」受講生 / 「岡山のクリエイティブセクターの活性化を図るプログラム」自主ゼミナール
 
後援
岡山県教育委員会 / 岡山市 / 岡山市教育委員会
 
協力
研精堂印刷(株)  / 出石国吉康雄勉強会